広岡のコラム(No.002)
2026年6月4日木曜日
『夜と霧』のエピソード
●「人生の意味」を見出しえた人間のみが、結果的に強制収容所から生還できた
『夜と霧』のなかにでてくる次のエピソードは、筆者にはひじょうに興味深く感じられた。約三年間の収容所での生活の始めから終わりまで、フランクルは一度も歯を磨くことができず、さらに食物の著しいヴィタミン不足に陥っていたもかかわらず、健康なとき以上のよい「歯肉」を維持していたという事実。また半年以上洗濯しない同じシャツを着て、しかも仕事で傷だらけの体であったにもかかわらず、一度も傷が化膿しなかったという事実をフランクルは紹介して、「ある心構え」さえ維持できれば、人間の肉体的・精神的強靭さが保たれることを証明している。つまり、人生に対する「前向きな心構え」を維持できた人間、言いかえれば、「未来の目的」「人生の意味」を見出しえた人間のみが、結果的に強制収容所から生還できたことを証明している。
広岡のコラム(No.001)
2026年5月11日月曜日
フランクルにおける「愛」と「良心」とのかかわり
●「責任」や「良心」は人間に無条件に属している事柄である
人間の「責任」や「良心」という原現象が、「決断する存在」としての人間存在に無条件に属している事柄であると言いうるならば、人間の実存的でかつ真正の「決断」は、いかなる場合にも非反省的であり、それゆえに無意識になされるものである。「良心」もまたその根源において「無意識」へ侵入してくると考えるフランクル(Viktor Emil Frankl,1905-1997)は、その意味で「良心」は非合理的かつ非論理的であり、さらに前論理的でさえあると考えた。なぜなら「あたかも前学問的な、また存在論的にはそれよりもさらに前に位する前論理的な存在理解というものがあるのと全く同様に、あらゆる顕現的な道徳に本質的に先行する前道徳的な価値理解というものがあるから」(1)である。
●「良心」とは本質的に直観的な一つの機能である
こうしたフランクルのものの考え方は、まだ十分な能力を身につけていない子どもたちに関わる教育者にとってもまた必須の心構えとなるだろう。なぜなら教育者こそが、子どもの中に潜む可能性を引き出すことを使命とする者だからである。特にそのなかでも子どもの「良心」を育成することこそ、今日の焦眉の課題であると言えよう。
「良心」が実現されるためのこの精神的な先取りは、「直観」――つまり「観る」という行為――のなかでのみ生ずる。ここで「良心」とは本質的に直観的な一つの機能であり、実現すべきものを先取りするために「良心」はまず直観しなければならない。この意味で「良心」は実際には非合理なものであると言えよう。「良心」と類似の「直観」の現象としてフランクルは「愛」をあげている。事実、「愛」もまた「直観」する以外には獲得する手立てがないからである。「愛」もまた「未だ存在していないもの」を観る行為に他ならない。
●直観する以外には獲得できない「愛」の本質
これとの関連で、ドイツの卓越した教育哲学者、ボルノー(Otto Friedrich Bollnow,1903-1991)は、フランクルと同様に「愛」の問題について、特に「教育愛」との関わりで次のように論じている。「教育愛」は、ギリシア的なエロスともキリスト教的なカリタスとも異なる。おそらく、「教育愛」とは端的に素朴な人間的な愛であり、根源的で自明な関係であるとボルノーは考えている。ボルノーの捉える教育愛の理解を通しても、フランクルのいう直観する以外には獲得できない「愛」の本質をわれわれは確認することができるのである。(3)
「良心」に対して開かれているのは、「これから存在すべきもの」であるが、他方「愛」が直観し開示するものは、「愛された汝」における価値の可能性である。別言すれば「愛」とは、「まさに愛されている人間が、まだ実現されていない人格的な可能性としてみずからの中に包蔵しているところのものである」。(4)
これとの関連で、フランクル研究者のトウィディ(Donald F. Tweedie,1926-)もまた、「愛される汝」について次のように述べている。「本当の意味で愛し合う二人にとって、愛とは、一人の相手以外を愛することのない、いわゆる、一夫一婦的な性質のものであるのは当然のことである。つまり、真の愛とは、愛する人の最高の価値へと向かう精神的な行為と考えられる」。(5)(傍点筆者)ここから「愛」の開示するものが、「愛された汝」における価値の可能性であることが傍証されよう。
註
(1) フランクル著、佐野利勝・木村敏訳、『識られざる神』(著作集⑦) みすず書房、1975年、33頁。
(3) ボルノー著、森昭、岡田渥美訳、『教育を支えるもの』、黎明書房、1980年、129頁~130頁参照。
(4) フランクル著、『識られざる神』、35頁。
(5) ドナルド・トウィディ著、武田健訳、『フランクルの心理学』、みくに書店、1968年、196頁。